イケてる航空総合研究所

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コロナで「世間」と「社会」が同じになった日本ではもう「世間の目」から抜け出すことは無理ゲー

これは面白い本だ

我々はよく使う言葉に「世間」ってのがありますよね。「世間体が悪い」、「世間が許さない」、「世間の目を気にしなさい」などなど。何気なく、でもよくわからず使っています。もう一つ「空気」という言葉もありますよね。「空気を読め」とか「場の空気が変わる」とか。

「空気」は海外でも感じたことがありますが、「世間」ってのはその国に住んで生活をしてみないと分からない。でも何となく「世間」ってものは日本独自の文化のような気もしていて(アジアの国々も比較的そうかも知れませんが)、「世間」をちゃんと理解すればコロナを終わらせる方法が見つかるのではないか?と思ったんですよ。

実は少し前に「空気と世間」という本を読んでみました。


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この本はすごく勉強になったんですが、コロナ収束にはあまり参考にならなかったと感じていました(読み方が雑だったからかも知れませんが)。それで、この本をもう少し低年齢向けに書き直したような本がありまして、最近、その本を読んでみたんですよ。


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「空気」を読んでも従わない

なんて素敵なタイトルなんだって思いませんか?この本も「空気」と「世間」についてとても平易な言葉で解説しています。

そしたら「世間」を変える方法が書いてあり「おおっ、これは!」と思ったんですよね。その後、このコロナ禍の居心地の悪い「世間」変えるには、、、と、じっくり考えてみたら結局無理なんじゃないかと思い撃沈したんですけど、「この本は面白い!」と思ったので皆さんにお伝えしたいと思います。

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世間と社会の違い

本のタイトルには「空気」とありますが、前述の通りこの本は「空気」と「世間」を対象にしています。そして僕は「空気」よりも「世間」に注目をしています。「空気」は比較的容易に変えられますが、「世間」は変えるのが非常に難しいからです。

まずは世間とは何かについて勉強していきたいと思います。筆者によると世の中、特に日本では「世間」と「社会」があるようです。

「世間」というのは、あなたと、現在または将来、関係のある人達のことです。(中略)「社会」というのは、あなたと、現在または将来、なんの関係もない人達のことです。

日本人は、基本的に「世間」に生きています。自分に関係のある人達をとても大切にします。けれど、自分に関係のない「社会」に生きる人達は、無視して平気なのです。

私達日本人は自分と関係のある「世間」の人達とは簡単に交流するけれど、自分と関係のない「社会」の人達とは、なるべく関わらないようにしているのです。というか、より正確に言えば、関わり方が分からないのです。

なるほどなるほど。世間とは例えばご近所さんとか学校の友達とか職場の人とかそういう人達という定義です。一方、社会とはそれ以外の自分とは無関係な人達という定義です。

筆者は日本には世間と社会があると言い、アメリカには社会しかないと言います。例えば日本ではエレベータで見知らぬ人と出会っても挨拶は交わしませんが、アメリカに行くと見知らぬ人に「ハーイ」とかって挨拶しますよね。あの違いが日本とアメリカの「社会」の違いだと言います。

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日本に世間が生まれた理由

世間と社会の違いはわかりましたが、そうすると「日本で世間はどうやって生まれたのか」とか「何故日本には世間があるのか」という疑問が生まれてきますよね。次は世間の由来についてです。

日本人は無宗教が多いと言われたりするのですが、かつて日本には、キリスト教やイスラム教の一神教と同じぐらい強力な「神様」がいました。それが、「世間」です。

一方、欧米はどうかと言うと、

欧米の人が強いのは、彼らが本当に強いのではなく、強いものに支えられているからです。  それは何か分かりますか?そう。一神教の神様ですね。

なるほど、日本では神様に変わるものが世間だというわけですね。我々は世間の「教え」ならぬ世間の「考え」に従って生きているわけです。

続いて何故日本では世間が大事だったのか。

一番の理由は、田畑の水です。日照りの夏に、もし、誰かが自分の水田に水を勝手に引いたら、他の水田は干からびて、稲が死んでしまいます。そうなると、村全体が滅びます。村は、全体に水が行き渡るように、不公平のないように、常に厳しく監視しなければなりませんでした。

大昔から我々はコメ作りをしてきたわけですが、その時の相互監視ルールが世間だったというわけです。「自分勝手な行動をとるなよ」と世間の目が光っていたんですね。

明治時代になって、明治政府は、「世間」というものを壊そうとしました。村が村人の生活を守る時代から、国が国民を守る時代に入ったからです。村や商家、武家が一番偉いままだと、国が困るのです。

国の統治にローカルな「世間」は不要だったのですが、どうしても残ってしまったと著者は主張しています。完全に壊すのは不可能で、今でも弱い「世間」が残り続けています。

長い間、日本は稲作が中心でした。温暖で雨の多い、米作りに適した風土で、稲作は日本に広がりました。農業が中心の社会を、農耕社会と言います。一方、西洋は、文明の生まれたギリシャがそうですが、農業に適した土地は多くありませんでした。代わりに、狩りが広がりました。野生の動物を狩ることで生活していたのです。これを狩猟社会と言います。

世間の発展は農耕社会がそもそもの根本で、西洋は狩猟社会だったから世間が育たなかったというのが著者の主張です。西洋でも農耕社会はあったと思うのですが、なぜそちらで世間が発展しなかったかは徐々にわかります。

結果的に、中国に「世間」は生まれませんでした。侵略されて、違う言葉、違う文字の人達に支配されるのです。みんな同じという「世間」が育つはずがないのです。

これでわかりました。中国も農耕社会です。でも侵略の歴史でした。4,000年の歴史と言われている中国でも王朝がコロコロと変わっていますよね。

国が変われば考え方が変わる。するとずっと同じ「世間」のルールを保つのは難しくなります。西洋も同じでしょう。農耕社会が存在しても次々に国が興り侵略を受ければ、その国のルールに合わせて生きるしかない。それで世間が育たなかったというわけです。

一方で日本は2,000年前からずっと同じ国です。侵略されて日本でなくなることはありませんでした。長らく同じ国であったことが「世間」を発展させたのです。

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世間を変えるにはどうするか

ここで本の中にあった一つの物語を引用させてもらいます。アメリカ人の女の子が学校におしゃれをしていったらいじめられた話です。

アメリカで育った彼女は、帰国しても、おしゃれで派手な洋服で、日本の小学校に通い始めました。けれど、しばらくして、そういう洋服を着ることをためらうようになりました。そして、わざと地味でダサい格好をして、学校に行くようになりました。調べてみれば、彼女はクラスで浮いて、いじめられていました。

日本ではよくあることですよね。周りと違うことをネタにいじめられるパターンです。まさに今のマスク社会と同じ構造だと思います。

「世間」とは日本そのものです。つまり、帰国子女の彼女は、日本と戦っているのです。

この女の子はクラスの子たちと戦っているのではなく、日本と戦っているのだと筆者はとらえています。ごもっとも、「出る杭は打たれる」のが日本文化だからです。日本では同調圧力が強すぎるんですよ。この女の子は学校へは地味な服を着ていったそうですが、学校外で遊ぶ時だけはおしゃれをしていたと言います。

一緒に遊ぶ友達が「その服、おしゃれでいいね。私もそんな格好してみたい」と思ってくれたり、言ってくれたりしたら、一歩前進です。

そういう小さな戦いが、この国の大きな「世間」をゆさぶり、変えるきっかけになることは間違いないのです。

できるところから始めればよい。ということですね。まずは狭い世界から小さな戦いを続けていく。とても大事なことだと思います。

「世間」はなかなか変わらないと悲しむのではなく、 変わらない「世間」のルールをうまく使って戦うのです。やがて、「世間」は少しずつ変わっていくはずです。

女の子は「世間」のルールをうまく使って少しずつ自分を認めてもらったと言います。ここでまだ解説していないのが「世間のルール」でした。簡単に以下の5つを同時に満たすのが筆者の言う世間だそうです。

1.年上がえらい
2.「同じ時間を生きる」ことが大切
3.贈り物が大切
4.仲間外れを作る
5.ミステリアス

1番目の年上がえらいというのは日本社会の特徴。尊敬できない先輩にも年齢が上というだけで敬語を使いますよね。あれが第1のルールです。続いて2番目の同じ時間を生きるというのは、早く帰るより残業した方が評価されるとかとかそんな話です。3番目の贈り物は、どこに行くにもお土産が必要で、そのお返しも必ず必要で、贈り物が2者の世間の関係性を作るという話。4番目の仲間外れはまさに出る杭は打たれる日本文化の最たるもの。最後のミステリアスとは世間のルールは謎が多いということ。理由もなく「昔からそうだから」として続けていることがいかに多いかということですね。

というように世間とは1番目から5番目のルールをすべて満たす集団だそうです。これを逆手に取ればいいと筆者は言います。例えば年上が偉いなら、言いたいことがあれば先輩から言ってもらうとか。そういうルールを活用すればよいというわけです。

「なるほど、そうか、世間は壊せるのか」と思ったんですが、よくよく読んでみたら「これは無理だわ」と思ってしまいました。

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コロナで世間と社会が一致した

筆者は「世間は変えられる」と主張します。そして個人が属する世間はたくさんあるので、どこかで弾かれても別の世間に属することで楽になれると言います。次のくだりです。

「たったひとつの『世間』」とぶつかったり、追い出されたりして、生き苦しくなることを避ける方法は二つあります。ひとつは、同時に他の弱い「世間」に所属することです。もうひとつは、「社会話」をできるようになることです。

付け加えて同じような主張ですが、

たったひとつの「世間」だけではなく、複数の弱い「世間」にも所属すること。いつも一緒にいるグループだけではなく、たまに会う人達との関係も作っておくこと。それが、あなたの生き苦しさを救うことになるのです。

「なるほど」と思います。集団が違えばルールが違うので、複数の世間に属せばあちらの世間の息苦しさはなくなるわけです。また、社会話ができるようにと。社会話とは世間話の対象語でして、いわゆるよく知る人との世間話ではなく、全く知らない人と話せるようになるのがよいという意味です。

これってアメリカだと普通ですよね。僕も飛行機に乗ったとき、何度も隣の人に話し掛けられ世間話ならぬ社会話をしたことを思い出します。日本では隣のオジサンと話すことなんて滅多にありません。

何はともあれ、何のしがらみもなく話せるのが社会話の特徴です。

しかし僕が絶望しているのは、特にコロナのマスク問題ではどこの「世間」に属しても同じルールが適用され、しがらみを気にせずにいられなくなったことです。マスクを必要としない「世間」は基本的にないと言ってよいでしょう。どこに属してもマスクはマストアイテムです。(ノーマスク派のオフ会とかもあるので全てではないですが…。)

マスク問題に限らず、コロナの話題になると、「同じ考え方の人である」と確信が持てなければ「世間話」でコロナの悪口を言うことは非常に憚られます。僕はガンガン言っていますが、基本的に反応が悪いのですぐにやめてしまいます。

困ったことに、コロナで「世間」が「社会」と同じ大きさになってしまった気がするんですよ。コロナに関してはどこでも同じ考え方が要求されるように感じます。暗黙の了解でマスクは必ず着用し、「コロナ脳」に用心しながら「世間話」をしなければいけません。賛否両論あるワクチンですら否定するのには勇気が要ります。ここまで世間が大きくなると、異なる世間を渡り歩くことができなくなってしまったと思うんです。

世間=社会

これが今、日本で起きていることなんじゃないかと思います。残念なことに「世間の目=社会の目」になってしまった。属する集団を変えても必ずついてくるのが「世間の目」ならぬ「社会の目」なのです。みんなこれが怖くて、社会が決めた暗黙のルールに従わざるを得ないわけです。

これまで見ず知らずの人の目なんて気にしていなかった人たちも、何故か人の目をやたらと気にするようになりました。それがまさにマスクですよね。人前でマスクを外せないのは、「世間の目」ならぬ「社会の目」が気になり過ぎるからではないでしょうか?

「世間は壊せる」と著者は主張しますが、それは今や社会を壊すことと同じ。今の状態では不可能でしょう。戦う相手が世間ではなく社会になってしまったのですから。上にも書いた帰国子女の女の子の話を聞いて、一瞬だけ希望の光が見えましたが、よく考えてみると「無理ゲー」なんじゃないかと思います。

それでも救われているのは、Twitterやブログなどネット上では仲間がいて自由に発言したりできることですかね?そういう意味では絶望する必要はなく、ネット上にはちゃんと自分を受け入れてくれる場所があるというのは一つ助けになっていると言えます。とってもバーチャルな世界ですけれど、僕にとっては心の拠り所になる場所です。

絶望しましたが、やはり一筋の光は差し込んでいますね。少しずつですが「世間の目」ならぬ「社会の目」を変えて行きたいと思っています。

おしまい。

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