イケてる航空総合研究所

ビジネスクラス搭乗記、弾丸旅行のノウハウ、マイルの使い方、貯め方、航空事故の真相などなど。

対策をすればするほど恐怖感が増す。美しい言葉を並べたコロナ対策という名の我慢比べもうやめませんか?

暑さで湧き上がる疑問

昔からマスク嫌いの僕ですが、最近暑くなってきたのでマスクのイライラが超絶的に増しています(笑)。でも外出時には絶対に着けなければならず、しかも人と話すときにも着けなければならず、かなりのストレスを感じています。

マスク非着用は犯罪

とまでは行きませんが、最近はそれに似た価値観が当たり前になりましたよね。

先日大人同士の会話で、「なんであの人マスク着けていないの?(変だよね?の意)」という話になったことがあり、「やはりマスクを着けないことは非難に値することなんだ」という思いを強めました。

マスク非着用の人は極端な話、「まるで全裸で歩いている」ような目で見られるのも同然な世の中です。僕はコロナ自体が怖いというより、周りの視線が怖いことの方が大きくてマスクをしてるようなものです。

飛行機の機内でもマスク着用が義務付けられていますし、飲食店でも、デパート等でもマスクがないと入れない店も多いです。加えて、入口には消毒液が置いてあり、透明なシールド板やビニールも常態化しています。

近頃、「これって本当に感染症予防のためか?」という疑問が強くなりました(前からずっと疑問でしたが最近特に)。ましてや感染者が減ってきている今になって、逆に感染症対策と声高に叫ばれるようになったことにはやや違和感を覚えます。(東京はやや増えていますが感染経路が比較的追えているため、深刻な状況ではないと考えています。)

経済活動が盛んになるから対策をしっかりやるのはわかりますけど、僕の価値観で言わせてもらえればやはりやり過ぎ感があります。

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累積ではなく現在数が重要

ここで新型コロナの患者数がどれくらい少ないのかを見てみましょう。例えば僕の住む愛知県の例で見てみると、現在の患者数は15人。


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人口750万人の県で15人ということは50万人に1人患者がいる計算になります。無症状の感染者をその10倍と見積もったとしても5万人に1人です。

この数字をどう見ます?ナゴヤドームの定員が約5万人なので、ナゴヤドーム満席の中に1人いるくらいの確率です。

累積で見てしまうと感染者数は増えるしかありませんので、常に増えているイメージしかないんですが、感染者数が劇的に減っている今は、退院者数も劇的に増えているので、市中の感染者はほとんどいないのが現実なのです。

そもそも市中に感染者がうじゃうじゃいれば絶対に子供にもうつりますので、既に再開された学校で感染が流行しているはずです。それが起きていないと言うことは、インフルエンザの流行期などとは比較にならないくらい少ない感染者数だと考えられます。

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コロナ対策はアリバイ作り

コロナ対策、コロナ対策って世の中では真剣にやっていますが、あれは企業や団体の責任回避が目的だとしか思えません。「いまできること」とか「安心のために」とか「命をまもる」とか美しい言葉で語られているのはあくまでも建前であり、本当のところは仮に感染者が出た時に「ウチはちゃんと対策してました」というアリバイを作っておくためです。

再開された学校でもかなりの対策をしています。この暑い中マスクを着けて登校し、休み時間には必ず手を洗い、アルコールで消毒、休み時間に外に出るのも学年別、歌は歌わず、大きな声は出さず、給食は個別に黙って食べます。人が集まる行事は全て中止です。学校に限らずですが、これらの対策は「感染防止の努力がすごい」のではなく「責任回避のための努力がすごい」と見るべきだと僕は考えています。(努力されている先生方、申し訳ありません。批判しているのはお上の方針です。)

エアラインでも飲食でも小売りでも「うちは安心ですよ」なんてやってますけど、悲しいかな、全ては何かがあったときに国、自治体、マスコミから叩かれないための防護策なんですよね。

家庭内ではなぜ許されるのか

「家の中では距離取らなくていいの?」「家の中ではマスクしなくていいの?」と疑問を持っているお子さんも多いと思いますが、ごもっともな意見です。

本当は家族でも距離を取らなきゃいけませんよね。マスクしないといけませんよね。僕が満員電車の中でコロナを拾ってきている可能性はゼロではないですから、僕は子供に近づくことはできません。子供も学校でコロナを拾ってきているかも知れませんから、僕は子供に近づかない方が良いでしょう。でも家庭でそんなことをやっているところはあまり多くないのではないでしょうか?

高齢の方がいる、持病を持つ方がいる。そういう家庭ではやられているかも知れませんが、普通の家庭では手洗いの徹底くらいしかやっていないのが現実ではないでしょうか?

それは家庭は外から見えないからです。もしコロナ対策をしていたとしても誰も証明できませんし、外にアピールする方法がありません。玄関に「家庭内でもマスク着用、ソーシャルディスタンスを保っています」なんて張り紙をしている家庭はありませんよね。家の中は外から見えないから、家庭内では「なーなー」で許されるんです。

でもホントはそれでいいんですよ。それくらい緩くても状況は何も変わりません。

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インフルエンザは何故怖くないのか

ちなみにインフルエンザはなぜ怖くないんですかね?日本で年間1万人が直接的、間接的に死んでいるんですよ。


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(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html#100)

上記の文中にある超過死亡概念とは、病院を受診せずにインフルエンザで死亡した人や、インフルエンザによる合併症で死亡した人などを含んだ死亡者数で、より実勢を表していると言われています。

新型コロナの超過死亡者数のデータはなかなか出てきませんが、新型コロナは合併症というよりもウィルスが引き起こす肺炎そのもので死ぬことが多いですし、新型コロナの診断をされずに亡くなる数も少ないですので、インフルエンザよりも死者数は少ないと考えられます(まだ年間のデータが出ないためわかりませんが)。

という事実を知ってしまうと、どうしてインフルエンザは恐れないのに新型コロナ恐れるのか?という疑問にたどり着きます。よく「ワクチンも治療薬もないからだよ」という声をよく聞きますが、ワクチンも治療薬もあるのに1万人が死んでいるインフルエンザは新型コロナよりもよっぽど怖くないですか?

今の皆がしている対策がいかに過剰かがお分かり頂けるかと思います。インフルエンザの流行期に同じ対策をしてくれれば、亡くなる人をもっと減らせるのにと思います。

皆さん(特に学校再開反対をされていた方)、毎年毎年インフルエンザの流行期の学校なんてよく行かせてましたね。流行期の「マスクなし、消毒液なし、ディスタンスなし」の超密の学校なんて今考えるとあり得ないです。

対策すればするほど恐怖は増す

企業や団体が責任回避の努力をすればするほど、僕は世の中の恐怖感が増す気がしています。マスクをしていないと感染する、ソーシャルディスタンスを取らないと感染する、透明ビニールがないと感染する、座席が近いと感染する。対策をするということは「危険であることが前提なのだ」と脳が理解するわけです。

学校が再開してから子供達の恐怖感が増している気がするんです。学校がコロナ対策をやりまくるもんだから、純粋な子供たちは「これをやらなければ感染する」と思い込んでしまっているんだなと感じます。

(一方、学校再開前の方がコロナが怖く、登校を始めたら恐怖感が減ったというお子さんもいると思います。いずれにせよ、コロナが怖い子供が少なくないことには変わりありません。)

子供達の恐怖心理は旅行需要とかレジャー系の人出に大きく影響を及ぼします。家族旅行に行かれる方ってどれくらいいるんでしょうか?仮に世の中が旅行を許容しようとも、子供が旅行を怖がれば「行かない」のが正解だと思います。怖がる子供たちを連れて旅行には行けません。

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我慢比べが続く

皆が皆、統計や数字を正確に解釈して常に合理的な行動ができればいいですが、それができない人はたくさんいます。これだけメディアが煽れば仕方がありません。コロナ対策に安心をする人達が増えれば増えるほど元に戻せない気がするんですよ。

夏でもマスク、消毒液、ソーシャルディスタンス、透明な間仕切り、ビニールシートはいつまで経っても取れないです。それをなくしたら急に不安心理が出てきて立ち行かなくなりますから。

ワクチンや治療薬が開発されたらコロナへの恐怖感はなくなると少し前までは思っていましたが、このままだとこの空気感は変えられないような気がしてきました。

対策をやめたら客が不安がる。感染者が出たらマスコミに叩かれる。だから嫌でも対策を続けなければならない。ずっと我慢比べが続く気がしています。

この我慢比べをしなければいけない状況が非常にバカバカしいです。サッサと感染者を報道するのをやめて、人々の意識からコロナをなくせばいいのにと思ってなりません。あらゆるコロナ対策も費用(または損失)の割に実利が少なすぎるのでサッサとやめるべきでしょう。コロナ対策万全アピールもやめた方がいいと思います。

対策をしているから安心ではなく、対策を続けているから潜在的な恐怖が続くんですよ。空港の地上係員のフェイスシールドなど「その辺にうじゃうじゃウィルスいます感」出しまくりじゃないですか!

「対策のしすぎは逆効果」の典型例かと思います。

Go To Travelキャンペーンをやってお金を配っても、僕はなかなか旅行客は戻らないと思っています。コロナ対策を万全にしてお金を配れば客は戻ると考えるのは安直過ぎます。そんなに人々の心理は単純じゃありません。

戻るという発想が間違いなのか

ただ、一歩下がって考えてみると、1つ僕の思うことは、「もしかしたら自分が間違っているのではないか?」ということです。つまり「元に戻って欲しいと願うことが間違っているのではないか?」ということです。

既に世界は変わっていて、人々の心理が「コロナ怖い」になってしまった以上、無意味だとわかっていても感染症対策を続けなければならないのではないかということです。

「無意味でも人々が安心するならそれでよし」とする考え方です。すごい不自由で不便ですけど、それを受け入れるしかないのかなぁと。

こんなことをしていたら、世の中回って行かない気がするんですが、ダーウィンの進化論では変化できない者は滅びると言われていますので、それを受け入れて生きるしかない気もしています。

心のモヤモヤは続く

僕のブログの読者の皆さんは、飛行機好き、旅好きな方だと思いますので、比較的コロナに対して恐怖感の薄い方が多いはず。なのであまりピンと来ないところがあるかも知れませんが、近ごろコロナへの恐怖感が異なる人達と旅行に行くのって難しいよなぁと思うところがあり、心のモヤモヤが続いておりますので、先日から同じような記事を書かせて頂いております(笑)。

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