イケてる航空総合研究所

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シアトルにある航空宇宙博物館ミュージアムオブフライトの実機展示がすごすぎる件

Museum of Flightの屋外展示

シアトルにあるMuseum of Flight、ここの展示のメインはAviation Pavilionと呼ばれる屋外展示です。実機が屋根付きの屋外に置かれています。


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歴代のボーイング機の初号機、試作機、特別機などが展示されています。これを見て感動しない人はいないんじゃないでしょうか?航空マニアなら絶対にここだけは訪れたい。そんな場所だと思います。

全体の解説は以下の記事をご覧下さい。

flyfromrjgg.hatenablog.com

以下、歴代のボーイング機、そしてコンコルドを紹介していきますが、書く内容は超独りよがりの内容です。僕の勝手な思いを綴ってしまうかも知れません(笑)。

707エアフォースワン

それでは1機1機に見て行きたいと思います。


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まずは一世代前のエアフォースワン(Air Force One)。現在のエアフォースワンも747の初期型で、随分と古くなっていますが、それ以前に使われていたもっと古いエアフォースワンです。

ボーイングが本格的にジェット旅客機を製造し始めた最初の機体が707。これまでプロペラの旅客機に対して3番台を付けていたボーイングが初めて7を使用した機体です。3はプロペラ旅客機、5はタービンエンジン、6は軍用品、7はジェット旅客機というカテゴリー分けがなされています。

ボーイングの旅客機は767や787など、7で数字を挟むというルールがありますが、そのルールはボーイング社内の製品番号名付けルールに従って順に7を使ったという説が有力です。当時6まであって、次は7だと。そして下一桁の7ですが、700もアリだったと思われますが、707の方が語呂が良かったのではないかと言われています。


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707は737と同じ座席配置が3-3のナローボディ機。4発のエンジンが付いていますがれっきとした通路一本の狭胴機です。というわけで747のようなキャビンの広さはありません。エアフォースワンでもこんな風にソファーが壁際に並んでいるんですが、どこか狭苦しい印象を受けます。


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なんだか電話が懐かしいですよね。エアフォースワンは空の上で大統領の執務がこなせるよう、あらゆる通信機器を装備していました。電話はおろか、もっと高度な通信機器も搭載しています。


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こちら随行員のシートでしょうか?随分とシートピッチが広いですよね。

俊足3発機セブンツーセブン

続いて727。707の次は717なんじゃないかってお思いの方がいると思うんですが、717は当時欠番になっていて、のちにボーイングがマグドネルダグラス社を買収したとき、当時開発中だったMD-95に割り当てられた番号です。(正確には717は当初、707の軍用版である米軍の輸送機C-135に付けられましたが認知されませんでした。)


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こちらが727の初号機(N7001U)。初号機ですよ初号機。すごいですよね。あの歴史ある727の初号機がここにあるんです。これはもう感動モンです。

707と同じ顔の727、でも僕にとって727は同じ顔の707や737を差し置いて、とても特別な存在です。どうしてかって、それは生まれて初めて乗ったヒコーキだからです。小さな頃は名古屋空港にはたくさん全日空の727がいたことを覚えています。どこに行くにもセブンツーセブンでした。


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この尾翼が727の特徴。リアエンジン機が当時としては流行りでした。元々727は中・短距離用旅客機でしたが、当時、双発機は洋上を1時間以上飛べないという時代でしたので、エアラインからはその制限をクリアするために3発目のエンジンが欲しいという要求がありました。そして3発目のエンジンを垂直尾翼の付け根付近に取り付けたのです。

エンジンが3発あることが関係しているかは微妙ですが、727は当時俊足をウリにしていました。羽田=伊丹間を27分で飛行した記録は非常に有名です。短距離機にしては大きな主翼の後退角が俊足をもたらしました。

空港で見ていても上昇性能が非常に良いのが伺えました。グーンと機首を上げて上昇して行きました。その代わり騒音がものすごく大きかったんですが…。当時727、737、DC-9の騒音と言ったら、バリバリバリ~と空気の揺れが胸まで伝わってくるような音だったのを覚えています。


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787の初号機はANAへ納入されましたがが、727はユナイテッドだったとは実は知りませんでした。当時の事情からしてアメリカのエアラインであっただろう、ということは容易に想像できますけどね。


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727のコックピットは3名乗務。オブザーバーシートが1つあるので、4人乗り込むことができますが、基本的にはパイロット2人とFE(Flight Engineer)1名の計3名で運航していました。コックピットのハイテク化が進み、2人での乗務が主流となってFEはやがて廃れる運命にありました。


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737と同じ胴体径なのに何となく広く感じてしまうのは気のせいですよね。


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727の特徴は尾部に乗降用ステアを持っていること。目を凝らすとなんとなく長方形の枠が見えますよね。それが降りてきて、いわゆるタラップになります。ボーディングブリッジはおろか、タラップ車すらない空港での運用ができるようになっています。

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ベストセラー737始まる

727に続いて登場したのが737でした。当時「大型機しかジェット機のメリットなんてないんじゃないか?」と思われていたのが、727をやってみたら意外と良かった。それで更なる小型化が図られたのが737です。エンジンは2つ、当時からFE要らずの2メンクルー運用でした。


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NASAの737(N515NA)ですが、これは737初の試作機です。世界で一番売れているジェット旅客機が737ですから、この機体からその歴史が始まったと思うと、タイムマシンに乗って「この飛行機、すごいことになるよ」と当時の人達に教えてあげたくなりますね。誰が、この機体がベストセラーになると想像したでしょう。この機体は50年、60年もの時を超えて最新型のMAXまで成長していくのです。


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当時エンジンは細長く、地上とのクリアランスはこれで充分でした。727と同様に地上設備なしでも運用できるよう自蔵式のタラップを持っているのがウリの一つでした。しかしこの車高の低さが後にエンジンの大型化で苦しむことになります。MAXではだいぶ無理をしてエンジンを取り付けました。その無理が祟ってMAXはあんなことになってしまいました。

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ダメ元で成功した747

引き続きボーイングの歴史をたどっていきましょう。次は747の初号機(N7470)です。


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この博物館ではぎゅうぎゅう詰めに機体が置かれていますので、747だけを切り取るのは不可能です。だからどうしてもパーツパーツの写真になってしまいますが、どうかお許しを。


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機首部を見てみると、City Of EVERETTと書かれていますね。エバレットの名を冠した747、いやぁしびれますねぇ。


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この747、当初は軍用貨物機として計画されました。しかしロッキードに負けてしまいます。米軍はロッキードの提案したC-5ギャラクシーを採用してしまったのです。困ったボーイングは、何とか計画した貨物機を生かそうと、貨物機を旅客機にすることを発案しました。しかし失敗したら貨物機にもできるよう胴体の前が開いた方がいい。というわけでコックピットが2階に付けられました。そんなリスク回避の結果が747の独特のコブなんですよね。

最近ではほとんどなくなりましたが、軍民間の転用術は昔からよくやられている方法です。旅客機でダメなら軍用機にしようとか、軍用機の翼や胴体を旅客機に流用しようとかいう発想です。軍用機の中でも輸送機や爆撃機は、旅客機と共通な部分が多いのです。胴体のキャパシティ、航続距離、それらは軍・民ともに必要なものなんです。

ダメ元で始めた747という超大型旅客機ですけれども、パンナムの発注をきっかけに注文が入り始め、やがては空の女王へと駆け上って行きます。これが大量輸送時代の幕開けです。

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747を導入して座席当たりのコストが下がり運賃が安くなりました。特に遠くに飛べば飛ぶほど座席当たりのコストは安くなります。これにより、一般庶民が飛行機に乗って海外旅行に出掛けられるようになったのです。日本人がハワイ旅行に出掛けられるようになったのは747のお陰なんですよ。

JALのリゾッチャがハワイへこぞって飛んでいましたよね。ホノルルに行くと何機ものリゾッチャが停まっていました。あれこそが747のもたらした恩恵なんです。


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尾翼を見ると御巣鷹山の事故(JAL123便墜落事故/日航ジャンボ機墜落事故)を思い出してしまいますね。中に入るともっと御巣鷹山の事故を思い出してしまいます。こんなところ(シアトル)まで来て御巣鷹山のことを思い出すとは思いもよりませんでした。

それでは中に入ってみましょう。


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中はがらんどうになっていまして747のキャビンの広さがよくわかります。こちらはファーストクラスが置かれることが多いAコンパートメント。ここはアッパーデッキ(2階席)と並び、747でも憧れの場所ですよ。


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Bコンパートメント以降に目を移すと、試験のオジサンが頭抱えてるろう人形があります。なにかトラブルでもあったんでしょうか?ちょっとセンスが悪いですね(笑)。


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ここがキャビンの最後方。ちょっとわかりにくいですが放射状のお椀のようになっているのが圧力隔壁と呼ばれる構造。キャビン後ろと外気とを隔てる壁がここにあります。胴体はまだ後ろまでありますが、圧力隔壁よりも外側は与圧されておらず、外気と同じ気圧です。

ここが吹っ飛んだのが御巣鷹山の日航ジャンボ機墜落事故の原因でした。尻もち事故で損傷した圧力隔壁がちゃんと修理されておらず、与圧を繰り返すうちに亀裂が入り、ついには圧力に耐えられなくなり後ろに吹き飛んでしまいました。そして吹き飛んだ勢いで集中的に配置されていた油圧配管が全損傷し、垂直尾翼が破壊され(もぎ取られ)、操縦不能に陥りました。

油圧配管は血管のように、機体中を駆け巡っています。人間の首みたいに、全てが集中する箇所がやられると結局、冗長性を持たせても意味がなくなってしまいます(冗長性=1つが故障しても耐えられる設計)。

御巣鷹山の事故は圧力隔壁の破壊が致命傷となることを知らしめた事故でもあります。ただ、かなり珍しい部類の事故です。その前に垂直尾翼がなくなった時点で、操縦が極めて困難になるんですけれども。


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ちなみに圧力隔壁の下にこんなものがありますが、これ何だかわかります?窓があってパネルが付いていて、マットが敷いてあります。これは空中給油のブーム操作員席です。この機体、空中給油機として運航されていた時があるようで、その給油用のブーム(硬いホース)を操作するためのベッドです。下を向く必要があるため、寝ながら操作できるようにこんな風になっているんです。

先ほどのNASAの737ではないですが、試作機や初号機というものは色々な使われ方をします。いわゆるテストベッド(Test Bed)として実験などに使われて長生きすることが多いです。色々な改造の跡が見られるのが面白いですね。

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ゲームチェンジャー787

続いてこちらが最新のボーイング機、787です。展示されているのはN787BX、試験3号機になります。


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最新の旅客機が博物館に飾られるのは結構珍しいんですが、787に限っては3機の機体が既に博物館入りしています。初号機はセントレア、2号機(ANAカラー)はピマ航空博物館、そして3号機がMuseum of Flightです。

セントレアにある初号機についてはこちらをご覧下さい。

flyfromrjgg.hatenablog.com

セントレアに787の初号機があるという事実もかなりすごいですけどね。


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ボーイングのハウスカラーがまぶしいです。


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中にも入れます。前から後ろまで歩けますよ。写真は露出オーバーになってしまいましたがAコンパートメントの様子です。ここにはビジネスクラスの座席が置かれています。


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各部位のサプライヤー説明があります。787は世界各国のサプライヤーから機体構造を集めてボーイングで最終組み立てを行っています。日本企業の参加比率は35%で過去最高です。恐らくこの比率が破られることはないでしょう。787ではサプライヤーに任せ過ぎたことでトラブル続出したと言われていますので、これからはもう少し外注比率を落とすでしょうね。


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後ろにはエコノミ―クラスの座席が配置されています。ただし、左側の窓側は通路になっており、座席はありません。真ん中と右側のみの3-3配置となっています。


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787の特徴は窓が大きいこと。点線で他機との比較がなされています。立っていた説明係のオジサンに聞いてみたところ、特にどの機種というのではないみたいなことを言われてガッカリ。多分知らないんだと思います…。大きい方がA350でしょうかね?小さ方は737でしょうか?

さて、この飛行機は航空業界に大きな影響を与えました。それは長距離のポイントトゥポイント路線を開拓したことです。これまで燃料タンクの大きな大型機しか長距離路線を飛べず、例えば成田=シアトルなどの路線は747や777ではキャパシティが大き過ぎて飛べなかったんです。大は小を兼ねますが、儲けるためには搭乗率を7~8割に持って行かないといけないため、大型機では採算上無理だったんですよ。

しかし787は従来機よりも20%も燃費を改善し、中型機による長距離路線の開拓に成功したのです。ANAの路線展開で行くと、例えばデュッセルドルフ、ブリュッセル、シアトル、サンノゼなどがそれにあたります。これまでと違った新しい路線展開が可能となり、以前は近隣の大型空港まで大型機で飛びそこから小型機で飛ぶというハブアンドスポークで飛んでいたところが、ポイントトゥポイント、すなわち直行便で飛べるようになったのです。

それが787をゲームチェンジャーと呼ぶ理由です。これまでの航空輸送ゲームを変えたのが787だというわけです。

そんな意味で787は歴史的に非常に意義深い飛行機なんですよ。

悲劇のコンコルド

最後はコンコルド。ブリティッシュエアウェイズ(英国航空)のコンコルドです。旅客機の世界で唯一最後の超音速旅客機ですよね。1970年、誰もが超音速機の時代が来ると信じ、コンコルドの未来を予想しました。日本ではJALが発注しましたが後にキャンセル。結局購入したのは、開発国のイギリスとフランスだけでした。

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問題は機体の価格。そして燃費でした。予想以上に開発費がかさみ、さらに燃費が悪くて思ったような航続距離が出ないというもんだからそれは大変でした。


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No2ドアから後ろを望みます。


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コックピットはなんだか奥深いですね。M字型の操縦桿が特徴的です。そしてFE席付き、当時としては当たり前の3メンクルー仕様です。


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座席には座れませんが隙間からレンズを入れて撮影しました。エコノミークラスっぽいですが、これでファーストクラスです。


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よくこれでファーストクラスと言えたもんです。どう考えてもプレエコじゃないですか。それでもお金を払って乗る人がいたんですから面白いですよね。多少のエンターテイメント性と、専用ラウンジなどのサービスが受けていたのかも知れません。僕もコンコルドなら100万円くらい払ってもいいと思っています。


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しかし小さいのが窓。はがき大サイズというのは本当で、「うわっ小さっ!」と言ってしまうほど。マッハ巡航時には空気との摩擦熱が発生するようで、触ると熱かったそうです。


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コンコルドの巡航速度はマッハ2.0巡航高度は55,500ftです。通常の亜音速機の巡航高度が最大43,000ftですからそれよりも10,000fくらい高いところを飛びます。まさに成層圏。小さな窓から見える空がどんな色をしていたのか、ちょっと見てみたいですね。

そのコンコルドは全て引退済み。開発費の膨張で始まり方も悲劇だったのに終わり方も悲劇でした。引退の引き金となったのは墜落事故でした。コンコルドが離陸滑走中、前の機体が滑走路に落したゴム片を踏みそれが燃料タンクを貫通してしまったのです。

燃料が漏れて引火、推力を失いながら引火した側に反転して墜落してしまいました。その後、安全性に疑問が生じ、コスト高も手伝ってすんなり全機が引退しました。こうして夢の超音速時代は幕を閉じました。

技術の粋を集めた超音速飛行機は50年もの間、航空輸送の主役にはなれず、未だにマッハ1以下の亜音速機が活躍しています。世の中速ければいいということではなく、居心地のいいところとがあるんでしょうね。

技術や先進性は高ければ高い方がいい。しかしそれ以上にお財布事情がモノを言う。

それがリアルな航空ビジネスだということをコンコルドは教えてくれた気がします。

歴史的にすごい展示

冒頭にも少し書きましたが、ここMuseum of Flightの実機展示は本当にすごいです。置いてある機体のレア度やセレモニアル度が違います。どれも初号機や試験機ばかりです。そしてそれぞれの機体の歴史を知っていれば知っているほど、その価値がわかってきますから、見た時の感動は大きいものになります。

この飛行機にはこんな意味がある。もし上にツラツラと書いた僕のボヤきで、その価値を少しでもわかってもらえれば、Museum of Flightに行ったとき感動は嵐のように押し寄せてくるでしょう。

長々と書きましたが、この辺で終わりたいと思います。Have a wonderful flight with Boeing airplane!

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