イケてる航空総合研究所

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惜別!スーパードルフィンANA737-500【懐かしの画像で振り返るエアー最終便】

2020年6月14日引退

2020年6月14日、スーパードルフィンことANAの737-500が引退します。最終便を担当するのは福岡発(13:15)羽田着(14:55)のNH254便です。

あれ?いつの間に?

そう、僕の目には何だか突然ラストフライトが決まったように映っているんですが、実際、事前に告知とかあったんですかね?特に追いかけていたわけではなかったため、突然「来週がラストです」と言われたような感じで驚いています。


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知ったときには当然満席。スーパードルフィンには思い出がたくさんあるものの、乗りたくてももう乗れないので、今回は過去の写真でスーパードルフィンを懐かしむエアー最終便(仮想のラストフライトの意)と行きましょう。

今回はスーパードルフィン以外にも各所に「懐かしの」要素を詰め込みましたので、別の意味でも楽しんで頂けると思います。

残れたのはMSJ開発遅延のおかげ?

こちらセントレアで撮影したものですが、ラストまで残ったがこのJA306K。


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探したらたまたまハードディスクから見つかりました。顔が隠れてしまってちょっと残念ですが、エンジンにイルカが描かれているので一発でスーパードルフィンだとわかります。

今も昔もエンジンにイルカが描かれていれば737-500。サブタイプが見分けにくい737であっても「イルカならば500」と初心者にもわかりやすい特徴がありました。この可愛らしいイルカのマークが皆に愛される所以ですよね。

一時MSJ(Mitsubishi Space Jet)の納入が延期されると発表された後(何度も延期されているのでいつの発表かはよくわかりませんが)、ANAはMSJへのつなぎとして737-800を導入するという発言をしています。ただ機体サイズ的に166席の737-800は、MSJ(80機クラス)の2倍のキャパシティがあり何となく妙です。

元々は126席の737-500がMSJにリプレイスされるということだったはずですので、737-800は、MSJの遅延のせいで退役させられない737-500のリプレイスが目的だったのだと理解しました。

つまりMSJが入ってこないから737-500を退役させられない。でも一部の737-500は古いから退役させないといけない。だから退役する数機の737-500のリプレイスとして737-800を導入するという流れです。737-500がここまで残れたのはMSJの開発遅延のおかげと言えなくもないんですよね。なんだか喜んでいいのか悲しんでいいのかよく分からなくなります。まぁでも結果オーライと言うことで、ヨシとしましょうか。

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修行で対馬に行きまくった

記憶に残る僕とスーパードルフィンとの思い出は2005年に決行したSFC修行です。

当時はプレミアムポイントなどなく、年間50回搭乗という回数だけでプラチナステータスを取得できたため、とにかく安い路線にたくさん乗れば上級会員になれました。もしかしたら今の方がプラチナを取るのは金銭的に楽なのかもしれませんが、当時はあまり緻密なポイント計算が必要なく、とにかく短距離の路線で稼ぐという方法が主流でしたので非常に計画が楽でした。

そんな僕が修行でよく使ったのが福岡=対馬線でした。


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(対馬空港ターミナルビル)

中部=福岡=対馬=福岡=対馬=福岡=中部と乗れば1日で6レグ稼げますので、かなりお得だったんです。確か福岡=対馬の片道が5,000~6,000円くらいだったので、4回乗っても20,000~24,000円。中部=福岡も10,000円強でしたから1レグ平均1万円を軽く切る値段で乗れたのが魅力的でした。

ということで、対馬から乗って来た便で折り返すときのショットはこちら。


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これ、ANKですよ!

AIR NIPPONですよ。読み方は「アンク」、スーパードルフィンと言えばANKだったんです。今やANKはANAに吸収合併されて消滅してしまいましたが、イルカのキャラクターをあしらったスーパードルフィンを始めたのはANKだったということを忘れてはいけません。

いや~懐かしい。

僕の中でスーパードルフィンと言えばANKなんです。

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中部、福岡はドルフィン天国

修行の行先として福岡、対馬と書きましたが、修行が終わってからも福岡にはよく足を運びました。


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セントレアで撮影したスーパードルフィンが2機。中部=福岡にもスーパードルフィンは頻繁に飛んでいました。今では737-800が主力となりましたが、当時は-500が主力でした。福岡に限らずセントレアも737王国だったので、両空港でよくスーパードルフィンを見掛けたものです。

この頃(2011年)、ブランドイメージの統一もありANK塗装のスーパードルフィンはANA塗装になっています。そして運航はエアーネクスト(ANK子会社)に移管していました。


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当時、福岡から出発する際に、ANAの747と遭遇したことも。羽田=福岡は747-400Dが主力で飛んでいました。そんな時代もありましたね。737-500の時代は747-400全盛の時代と重なっていました。

ちなみにですが、僕、数えたらスーパードルフィンに43回乗っています。同じくANAの737-700は24回、737-800は31回ですので、ANAの737ではスーパードルフィンに一番多く乗っていることになります。

数えてみて自分でもビックリしました。

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石垣名物ロケットスタート

もう1つスーパードルフィンとの思い出は旧石垣空港です。新石垣空港がオープンする直前、旧石垣空港を訪問しておかないと後悔すると思い、衝動的に日帰り石垣旅行を決行したことがあります。旧石垣空港は滑走路が短かったため(1,500m)、737-500ですら離陸重量が制限されるという特殊事情を抱えていました。(確か羽田線は復路が直行できない、中部以西の路線は往復直行可能だったような…。)


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旧石垣空港には本州各空港や那覇空港からスーパードルフィンがたくさん飛んできていました。


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スーパードルフィンが着陸。滑走路が短いため接地点を間違えるとオーバーランの危険性があります。ドスンという着陸をし、急制動で止まったものです。着陸が深い位置になる(滑走路の中央へ寄る)のを避けるため、ショックを和らげるためのフレア(機首上げ)を控えめにして確実に車輪を滑走路に付ける着陸操作を行わなければいけない空港でした。

また出発の際には、滑走路端で停止しエンジンを最大出力にしてからブレーキをリリース。極力滑走距離を短くするような離陸方式が採られていました。そのため離陸時に体にかかる加速度は大きく、これをロケットスタートと呼ぶ人も多くいました。


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ほのぼのとした雰囲気がさすが石垣。当時は思いませんでしたが、スーパードルフィンを撮るには絶好の空港でした。

スーパードルフィンは福岡=対馬などの短距離路線で使わたり、本州から石垣のような長距離路線で使われたりとまさにマルチな使われ方をした飛行機だったと思います。

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いるかが生きた時代

スーパードルフィンがANKに導入されたのは1995年。スカイマークなどの新興勢が参入し競争が激化したのもちょうどその後です。運賃の規制が緩和されて航空運賃がどんどん安くなっていきました。色々な割引運賃が登場しましたね。

そして航空業界を襲ったのが9.11テロ。需要低迷を受け、体力のなかったJASがJALに吸収されました(実質)。その後、需要は回復しましたが、リーマンショック後には再び需要が低迷。そのあおりを受けてJALが破綻しました。そんな浮き沈みのあった時代もスーパードルフィンは駆け抜けました

2012年にはLCCの参入があり、再び空の競争は激化しました。しかし需要は伸び続け行け行けドンドンの時代になりました。しかしその黄金時代に終焉をもたらしたのが、コロナショックでした。

元々今年の上期のどこかで引退する計画でしたので、コロナがスーパードルフィンの引退を促したとは言えないんですが、予定よりも少し早い引退となったことは否めません。

また、スーパードルフィンはANAグループの変遷を全て経験してきました、ANKへ導入、AIR NEXTに移管、そしてANA WINGSへ。同じANAグループでもANA本社のご都合で色々なところへ飛ばされたのです。


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このいるかは日本の航空業界のいい時も悪い時も見続けてきました。ANAグループの改変の中でも、このいるかはずっと同じ格好で日本の空を飛び続けました。

25年間もの間、北は北海道、礼文から、南は沖縄、石垣まで日本全国を駆け巡りました。こんなにあちこちに飛んでいった飛行機は、スーパードルフィン以外にいないのではないでしょうか?

地味でありながらも日本の地方路線を支えたスーパードルフィン。ここにその活躍を称えたいと思います。

ありがとう。

そして、

お疲れ様でした。

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