イケてる航空総合研究所

ビジネスクラス搭乗記、弾丸旅行のノウハウ、マイルの使い方、貯め方、航空事故の真相などなど。

これから本当に旅行に行ってもいいのかという葛藤は一体どこから生まれてくるのか。

旅行が解禁されたらどうなる

県外への移動自粛要請が解かれているはずの夏休み、「旅行に行ってもいいよ」と言われても何となく今の雰囲気だと行きにくい、そんな風に思っている方はいないでしょうか?

僕、個人的には実はあまり思っていないですけど、周りの話を聞いていると何となくそんな空気があるような気がしています。

4月に緊急事態宣言が出された時、「GWに(自分たちの県には)旅行に来ないで欲しい」という知事や自治体の長の訴えを嫌というほど聞きました。そのため僕らは「コロナ禍の中では旅行に行ってはいけない」という認識を繰り返し擦り込まれてしまっているんじゃないかと思うんです。

だから突然、「旅行に行ってもいいよ」とか「どうぞ来て下さい」と、手のひらを返したように言われても何となく行く気になれないんだと思います。


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(コロナ禍前の2020年1月沖縄にて)

そこで今回は「何が僕らに旅行をとどまらせているのか」ということについて、心理的な側面に主眼を置いてじっくりと考えていきたいと思います。

認知的不協和が起きている?

まずこの心理が非常に大きな影響を及ぼしている気がします。無意識のうちに大きく作用している可能性が高いからです。

認知的不協和???それ何?という方、以下で簡単に説明します。これは人間の行動にとって非常に重要なものなんです。

例えばAさん、Bさん、Cさんがいるとします。3人は仲良しです。でもたまたまBさんがCさんに嫌なことを言ってしまいました。CさんはAさんに愚痴ります。「Bさんにこんなこと言われちゃった」と。

するとAさんはCさんを慰めるつもりで「それはひどい、Bさんなんて友達じゃないよ」と言ったとします。(Aさんは本音ではBさんを嫌とは思っていないとします。)

ところがAさんはCさんに「Bさんなんて友達じゃない」と言ってしまった手前、Cさんの前でBさんと仲良くできなくなってしまいます。

AさんはCさんに言った言葉と自分の本当の気持ち(Bさんを嫌ではない)が不協和(矛盾)を起こしてしまったため、自分の発言を正当化するため、本当の気持ちを無理矢理曲げてしまったのです。これが認知的不協和の一例です。

これと同じで、一旦GWの時期に「コロナの時期に旅行には行かない」と強く心に誓った人は、「旅行に行きたい」と思っても、GWに誓った言葉を正当化しようと「まだ、ダメだ、もう少し待った方がいい」と本音を押し殺してしまうのではないでしょうか。

特に「旅行に行かない」と人に言ってしまった人は不協和を解消しようとする力が強く働き、旅行に出掛けられなくなってしまうのではないかと思うのです。

世界が(せめて日本だけでも)完全にコロナを克服してしまえば良いのかも知れませんが、まだグレーな今の時期にこの不協和を解消させるのは非常に難しいと思っています。

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なぜ飛行機や空港が怖いのか

飛行機に乗るのが趣味の僕が想像するのは難しいですが、飛行機が怖いと思っている人も依然多いのではないでしょうか?

僕らは報道で、物々しい雰囲気の武漢チャーター便の映像を見たり、防護服姿の客室乗務員が乗務する映像を見たり、フェイスシールドをした地上係員などを見たりしているからです。

そして今、航空会社は「いかに飛行機が安全であるか」を必死に説明しようとしています。でも、「僕は正直者です」と必死で言っている人が胡散臭く見えるように、飛行機が安全であると主張すればするほど潜在的に安全ではないように感じる妙な心理がそこにはあります。

www.ana.co.jp

これだけ航空会社が飛行機の空調システムは安全であると主張し、3人掛けの真ん中を空ける航空会社もあり、客室乗務員、乗客ともにマスク着用を義務としているのに、依然として飛行機は一番危険と思っているなんてそんなバカな…とは思うんですけどね…。(航空会社のサイトを見ていないのかも知れません)

また「空港にはウイルスがいる」と妄信している人もいるはずです。空港には海外から来た外国人がいる、空港では検疫で何人もコロナで陽性者が出ている。そんなイメージだけで空港が怖いと思い込んでいる人は一定数いる気がしています。(ヤフコメでよく見ました。)

今は国際線(旅客便)が飛んでいる空港はほとんどないですからね…。日本に入って来る人なんてほとんどいませんからね。ちなみに僕の地元であるセントレアの国際線は完全休止状態です。

満員の通勤電車や不特定多数の人達が行き交う鉄道の乗換駅の方がよっぽど危険な気がしますが、「通勤はやむを得ないし、今までで電車の中で感染したことがないから安全」だと考えている人が大多数ではないでしょうか。それに比べると飛行機は、毎日乗る乗り物ではないためリスクが計れないと要因もあると思います。

また、人が少ない方がコロナ的には安全なのに、人が少ないと「気味が悪い」、「後ろめたい」から敬遠してしまう人もいそうですね。僕も自粛期間中にショッピングモールに行って、閉店している専門店街を見たときに、なんだか薄気味悪さを覚えましたから…。


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(セントレアの薄暗いイベントプラザ)

人がいないほど安全なはずのコロナで、人がいないと何故か恐怖を感じるという、論理的に考えたら完全に破綻している心理状態に陥っている人もいる気がしています。それは違う恐怖心をコロナへの恐怖心と勘違いしているのかも知れません。

まとめると、植え付けられた飛行機や空港は怖いというイメージ、そして安全だと主張すればするほど胡散臭くなる心理、そして慣れない場所だからこそ計れないリスク、そして人がいないことで感じる矛盾した恐怖、これらが飛行機や空港を怖い場所だと思わせている気がいます。

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人から後ろ指を差されるのが怖い

認知的不協和は自分の中での心理的な葛藤でした。これに加えて、他人からの視線が怖いのもコロナが社会にもたらす不安心理です。

何だか行動を監視されているような感じがする。自粛警察に叩かれるんじゃないか。もしかしたら今の時期に旅行をすることは非難される行為ではないか。そう思っている人も多いと思います。

もし旅行に行ったことが近所の人や会社の人に知られたら、「誰々さん、飛行機で旅行に行ってきたんだって」、「えっ信じられない!」、そんな会話が自分の知らないところで交わされる気がすると感じている人もいると思います。

そうなると人間は安全側に傾きます。つまり「旅行に行かないこと」を選択します。自分はいいと思っていても「他人にどう思うかわからないからやめておこう」という行動に陥ります。

行動が保守的(コロナへの恐怖心が強い)な人達から後ろ指を差されないために旅行を自粛する。そんなムードがまだ残りそうな気がしています。

仮に旅行に行った後、コロナウイルスの症状が出て発症したとしましょう。感染したのは家の近くなのか旅行中なのかは判別できないものとします。なお、感染するとそれ以前の行動、つまり「旅行に行った」ことは必ず言わなければなりません。

ここで旅行に行った場合(上記)と旅行に行っていない場合で、どちらが世間からの目が冷たいか考えて下さい。旅行に行った方が世間の目は冷たいんじゃないでしょうか?

ここで重要なのは旅行先で感染した事実がなくても、旅行に行ったという事実があるだけで、その人の罪が重くなることです。「罪」という表現は非常に悪いですが、残念ながらそれが今の世論だと考えています。

いや、今後は政府が旅行を後押しするはずだから、旅行に行って叩かれることはないかも知れませんがそれはわかりません。ついこの前まで「旅行はダメ」だったのに、急に容認されても人々の感情は急には変えられないからです。

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コロナ対策万全の学校が影

一人旅、夫婦旅、友達と行く旅、対象が大人であれば、認知的不協和だって乗り越えられるし、お互いの認識も伝え合って合意を取って旅行に行くことができると思うのですが、子供が加わるとなかなか大人の言葉では説明できない難しさが出てきます。

今学校で徹底して行われていることは、常時マスク着用、休憩時間毎の手洗い、距離を保つこと、一人で食べる給食などです。これから夏休みまでずっと、こんな学校生活を経験していく子供たちはコロナへの恐怖を増強していきます。

それが「旅行に行きたくない」という心理に発展していく気がしています。子供は大人のようにうまく状況を理解できません。昨日までダメだったものが今日から良いと言われても受け入れることなど到底できないのです。今のようなコロナ対策万全の学校生活が続く限り、コロナへの恐怖心理を取り払うのは不可能でしょう。

近くの公園は普段行っているから安心。でも遠くに飛行機で行くとなると怖い。先ほどの通勤電車はいつも乗っているからリスクが感覚的にわかるけど、飛行機はいつも乗っていないためリスクが測れないから怖い、というのと同じ事が子供の心の中で起きるわけです。

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コロナ自体が怖いんじゃない

新型コロナウイルスに感染するということは、未だに全てのニュース番組で報道される一大事ですから、もし感染してしまったら、自身の社会生活大きな支障をきたすわけです。

14日間家から出られず、会社や学校にも行けず、下手したら仕事を失ったり、会社や学校でいじめられたりするわけです。少なくとも今の世論では、感染した者は悪者扱い、邪魔者扱いされます。この罰ゲームみたいなのがコロナの怖いところなんですよね。

無症状だったり、発症前だったりすると会社や学校に行って他人に移してしまうことがあり、自分の知っている人達に甚大な迷惑を掛けるわけです。また、仮に感染したら自分の行動履歴を全て吐かされ、赤の他人であっても関係する場所の全てに迷惑を掛けることにもなります。旅行に行くと普段の生活よりも立ち寄る場所が増えるわけですから、これが旅行をとどまらせる一つの原因になっている気もします。

ところで。僕は上で「迷惑を掛ける」と表現しているわけですが、コロナに感染するのは決して自分のせいではありません。しかし実際には他人に迷惑を掛けてしまいます。だから迷惑を掛けまいと振る舞います。この他人に迷惑を掛けたくないと思う心理が、何をやるにも大きな障害になると思うのです。

自分に降りかかる不都合、そして他人に与えるかも知れない迷惑。この2つがコロナ自体の恐怖よりも強い気がします。もちろん病気自体への恐怖を抱いている人は多いですが、症状が出ない人がいることを含め症状に差があるコロナでは、病気自体の恐怖ではない恐怖が僕らの行動を支配しているのです。

コロナを忘れることが大事

「旅行に行ってはいけない」という暗黙の了解が蔓延る今の空気を変えるのは容易ではありません。「コロナによる経済への打撃は、行動制限という人為的なものだから、、、、」という視点で語られるところもあるんですが、行動制限が人為的なものであっても、人間の心理変化は自然発生的です。人によっても違います。

昨日までダメだったものを今日からいいと言われても…。

どうしてもそう思ってしまうんですよね。旅行の是非に関してはある程度の期間、その葛藤に悩まされるはずです。自分の中での心理的な葛藤(認知的不協和)、植え付けられた恐怖心、他人からの視線、自分に降りかかる不都合、他人に掛けてしまう迷惑などを想像してしまうと、なかなか以前と同じ心理状態には戻せません。

消毒を行うなどして感染リスクを下げる、科学的な説明を行い安全であることを謳う、これらは旅行への恐怖心をなくすためにもちろん必要なことですが、それ以上に心理的な阻害要因が多過ぎるため、物理的にできることを全て行ったとしたとしても旅行に関する恐怖心を全て拭うことはできません。


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やはりゆっくりゆっくり人々の心理をこれまでのように戻していくしかないのでしょうか?

僕は皮肉にも旅行需要を喚起しようとして、コロナ対策を強力に推進してはいけないと思います。コロナを前面に出せば出すほど旅行客はコロナのことを意識してしまうため、逆効果にもなり得るのです。

ということは、旅行を盛り上げるために必要なのは「コロナを忘れさせるような心理作戦」でしょうね。ただ、忘れさせるのは旅行中というよりも旅行を計画する段階ですので相当難しいはずです。

コロナ感染者の報道を一切やめるとか、政府やメディアレベルでの取り組みが必要でしょう。それはつまりコロナが終わることを意味します。

このまま夏休みにかけて旅行ムードが盛り上がって行けばいいですが、果たしてそうなるのか、僕の悲観的過ぎる予想が当たってしまわぬように願います。

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