イケてる航空総合研究所

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あらゆる感染症予防に飛沫恐怖も加わって、日本人は一生マスク生活かも知れないという危惧。

「コロナが終わる」の意味

皆が皆、「コロナはいつか終わる」と言うけれど、「コロナが終わる」とは一体どういう意味だろう。僕が思う「コロナが終わる」は、コロナウィルスがいなくなるということでもなく、感染者が少なくなるということでもない。

コロナを特別視しなくなる

ことだ。PCR検査をやらない、感染者をいちいち数えない、そうやってコロナは終わるのだと僕は考えている。世界ではすでにそっちの方向に舵を切った国がある。そんな風に終わるということはコロナが始まってからわかっていたことだ。いや、「終わる」のではなく、

終わらせる

のである。

僕は、そんなことなど当たり前だと思っていた。誰もがとっくに気が付いているだろう、終わらせることができないのは既にコロナには多くの利権者がいるし、始めた以上「間違っていました」と言えない専門家がいるし、責任を取りたくない企業トップや政治家がいるからだと。それに皆気付いていて、否応なくお付き合いしているもんだと思っていた。

でもどうやら違うらしい。未だ本気で「コロナが終わる」=「感染拡大が止まる」と思っている人がまだまだたくさんいるのである。

そうするといつまで経ってもコロナは終わらないことになる。人々は何をもってコロナが終わると定義しているのだろう。大いなる疑問である。

「コロナが終わる」=「感染拡大が止まる」と考えている人は、感染拡大を止めることに躍起になる。「何が何でも感染を止めなければ」という発想になる。そして過剰対策がいつまでも続くことになるのだ。

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蔓延るコロナの特別感

感染拡大を何としてでも止めないといけない意識は、「コロナの特別感」が要因なのだと思う。

数ある感染症の中で、いや、風邪に限っても何種類、何十種類も原因となるウィルス・細菌があるというのに、何故新型コロナウィルスだけが特別なのか。「新型」ではないコロナウィルスは昔からいる。今回の「新型」は単なる派生型なだけだ。トヨタの新型VOXY、新型NOAHと同じである。

しかしテレビの煽りによって新型コロナウィルスは特別なウィルスになってしまった。風邪だって重症化はするだろうし死に至ることもある。という当たり前のことを無視して、とにかくコロナ死だけは防がないといけないとほとんどの人が思っている。そんな「コロナの特別感」は皆が持っている共通認識なのではないだろうか。

単にコロナに感染したら色々と面倒、そう思っているだけならいいが、僕がリアルに会話した中でも、「コロナは恐ろしい、オミクロンですら脅威だ」という主旨の発言をする人もいて、テレビの洗脳はかなり一般市民の間に浸透しているんだなと実感している。

これではコロナなんて一生終わらない。コロナの特別感が続く限りコロナは終わらないのだ。

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あらゆる感染症対策という未来

最近気が付いたことだが、世の中では新型コロナウィルス対策だけを目的にせず、あらゆる感染症対策としてマスク、消毒液、ソーシャルディスタンスを推奨するお店が出てきたということ。先日足を運んだヒマラヤ(スポーツ用品店)がそうだった。

一言一句覚えてはいないが、(コロナに特定しないあらゆる)感染症対策、新しい生活様式の定着のためと言って、ソーシャルディスタンス確保やマスク着用を求める放送を入れていた。

僕はかなりの危機感を覚えた。新型コロナウィルスだけではなく、あらゆる感染症対策として今の過剰対策が正当化されようとしているのだと感じたからだ。

つまり、それはコロナ対策(だったもの)が一生終わらないことを意味する。「コロナは特別だからしばらく続く」ならばまだよいのだが、いつかコロナの特別感が消えても、今度は一般の感染症対策が前面に出て来れば、今の社会がずっと続くことになる。

あらゆる感染症予防にマスクの着用を

そうなる可能性だってある。それがコロナ後の日本社会の行きつく先だと考えると僕はぞっとする。

もし「あらゆる感染症予防にマスクの着用を」なんてなったら、マスクをしないやつは病原菌をまき散らすやつというレッテルを貼られることになる。今度こそ本当に人前でマスクを外せなくなる。マスクが好きな人だけやってくれればいいが、これまでの経験からマスク着用は社会全体で強制してくるから僕は警戒しているのだ。

さらに恐ろしいのが飛沫恐怖の人が増えたことだ。ヤフコメなどを見ていると、「飛沫」そのものに嫌悪感を示す人が一定数いる。「アンタ2019年までどうやって生活してたの?」と聞きたくなってしまうが、人々は知ってしまったのだ。人と会話をするとおびただしい量の飛沫が飛ぶということを。

「知らない→知っている」という方向には行けるが、「知っている→知らない」という方向には行けない。一度知ってしまったものはもう知らない状態には戻せないから、人々はこれから飛沫が気になって仕方がなくなる。

こうなったら感染症予防を超えて、とにかく「人と話すときには飛沫を飛ばしてはならない」というマナーが生まれることになる。こうして永遠にマスク生活が定着しそうな勢いだ。

これはゆゆしき事態である。

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壁の向こうにまた壁がある

僕が何を気にしているかと言うと、第一にコロナが終わらなければマスクは取れないということだ(本当は逆だと思っているが)。「イマココ」にいる。そして今この瞬間は、コロナが終わる気配を一切感じない。では、コロナを特別視し続け一生マスクを強要される社会が続くのか。

いや、まさかそんなはずはない。

いつか必ずコロナは終わるはずだ。

じゃあ仮にコロナが終わって、コロナの特別感が消えたとしたらどうなるのか。それでもあらゆる感染症対策としてのマスクが残る可能性が出てくる。ここが厄介なところだ。さらには飛沫恐怖というウィルスとは別次元の問題が待ち受けている。

コロナの壁を越えたと思ったら、その向こうには感染症全般というものすごく高い壁があり、さらに先には飛沫恐怖という高さの見えない壁があるイメージだ。

コロナならば忘れることができそうだが、全ての感染症が怖い、飛沫が怖い、と言い始めたらもうどうすることもできない。人々はそんな恐怖の壁を易々と超えられるのだろうか?

コロナ以外の感染症もダメ、ウィルスを含まない飛沫もダメとなったら日本人はもう二度とマスクが外せなくなる。僕はそれが、

ただただ恐ろしい

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僕がマスク社会に抗う理由

よくこんなことを聞かれるし、ヤフコメを見てもよくこんなコメントを見かける。

マスクくらいすればいいのに

おっしゃる通りとても簡単なことだ。「マスクくらい」、「たかがマスク」だ。「どうしてもマスクをして欲しい」と言われたら、この僕だって感情を殺せば一瞬でできる。しかしマスク社会に抗っている人たちはそういう場当たりなことを問題にしているのではない

僕らは別の次元でもっと将来を見通して物事を考えて心配をしているのだ。僕らは一生続くかも知れないマスク社会を危惧して、そうならないように一生懸命阻止しようとしているのである。このご時世「マスクをしない人がいる」、「もしかしたらそれでいいのかも」、「僕も(私も)外したい」。そう思ってもらいたくて周囲からの批判を覚悟でやっているつもりだ。

もしくは価値観の強制の象徴としてマスクに抗っている人もいるだろうし、コロナ社会全体への批判・非難を込めている人もいるだろう。

マスクをしない理由は人それぞれかも知れないが、一つだけ言えることは、単にマスクのことだけを考えているのではないということ。もっと広い視野を持ってコロナ社会に向き合い、反対の意を唱えているということを理解して欲しい。

マスクに関しては、「今だけだから」、「不安な人がいるから」、「我慢して着ければいい」と軽く流してしまっている人が多過ぎると思う。いや、あなたがマスク社会に対して何の不満もないのなら、ずっと着けていてくれていて構わないのだが、不満があるにも関わらず非難されるのが怖くて着用しているのなら是非とも考え直して欲しい。あなたはずっと続くかも知れないマスク社会を後押ししていることになるからだ。

そしてこのマスク社会の恐ろしいところは、他人に対して正義感を振りかざしながら強要してくることだ。今、皆がマスクを着けているのは単なる同調圧力に過ぎないのに、それを常識だと勘違いして。着けていない人を常識外れの人とみなしてくる。

欧米ではマスク着用など任意で大半の人がしていないのに、日本ではマスクだけが神格化され、着けていない人達は社会不適合者のような扱いを受ける。感染状況は各国で同じ歴史を辿っているのに、なぜこんなに意識が違うのか。何故日本では意味もないマスク強要が蔓延るのか理解できない。

まだコロナの真っただ中のマスク強要なら許せる。「新型コロナウィルスの感染予防のためだけにマスクをしましょう」ならばまだ僕は納得する。しかし「あらゆる感染症予防のためにマスクをしましょう」、さらに進んで「飛沫防止にマスクをしましょう」になると僕は到底受け入れることはできない。

そんな未来が来ることだけは避けたい。しかし前述の通り、壁は非常に高いと思う。

今だけだと思って気安く従っていると、本当に一生外せなくなるんじゃないかと思う。コロナが始まって2年、手を変え品を変え、今日までコロナ社会をズルズルと引っ張って来たではないか。何もしなければ、ずっとこんな生きにくい社会が続く気がしてならない。

もう一度言おう。

僕が単にマスクだけに焦点を当てて「着けたくない」と言っているわけではない。日本のマスク社会の行方がとても不安だから、コロナが終わっても永遠にマスクを着け続ける社会が来ないように一生懸命抗っているのだ。

僕の意見が受け入れられないのはわかっている。でもこんな社会がずっと続くのは絶対に嫌だ。僕はコロナ前のような顔が見える社会に戻りたいと心から願っている。だから、少しでも理解してくれるなら、不要なところではマスクを外して欲しい。きっとそれが僕らの望む未来につながると思っている。

マスクだけではない。コロナへのあらゆる過剰対策が今、社会を壊している。おかしいと思っても誰も文句を言わないではないか。何故文句を言わない。何故涼しい顔をしてスルーするのか。何故矛盾に満ちたコロナ対策を美化するのか。僕はそんな社会全体への批判を、最もわかりやすいマスクに着せてコロナ社会への離反を訴えているのである。

気付いた人から変えていきたいと願うばかりだ。

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