イケてる航空総合研究所

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マスクが感染症対策から社会のルールになってしまったことが一番の問題【ノーマスク免許更新で考えたこと】

免許更新で考えたこと

先日、運転免許の更新に行ってきました。もちろんノーマスクでです。無事ノーマスクでも免許更新ができたんですが、色々と考えさせられまして一本記事にしたいと思います。

無事と言いつつもやはりひと悶着はありました。講習会の講師である警察官との会話を書いておきますね。(更新料を払って免許証用の写真を撮るところまでは何も言われず。)

警:「マスクはお持ちですか?」
僕:「え?持ってないですけど、、、」
警:「着けない理由って何かありますか?」
僕:「特に理由はないですけど、もうマスクやめたんで…。別に要らないと思ってます。」
警:「でも、他の人がみえますから…」(「みえる」は「いらっしゃる」の名古屋弁)
僕:「他の人に何か言われたら、僕が話すんでいいですよ。」
(それ以上言われず。)

結果的にはマスクなしで免許更新ができたので、今回は僕としても上出来だったと思うんですが、思い出してみるとやはり引っ掛かる部分がありました。

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他の人がいるから(続きナシ)

警察官の口にした「他の人がいるから」と言う発言がこのマスク禍の特徴をよく表しています。これまで経験した多くのケースで、ノーマスクを注意された後に出てきた言葉がこの「他の人がいるから」だからです。

  • ユニクロで「私はいいんですが、他のお客様が、、、(続きナシ)」
  • 飛行機内で「個人的には同意できるのですが他のお客様が、、、(続きナシ)」
  • ホテルで「他のお客様がいらっしゃいますので、、、(続きナシ)」
  • 警察が「他の方もみえますので、、、(続きナシ)」

色んなところで「他の人(客)が」と言われます。しかしどのケースも「他の人(客)が」の続きがないんですよね。他人がどうしたというんでしょうか?「他の人が不安がるかも知れないから」、「不快に思うかも知れないから」と言いたいんでしょうけど、それって本当ですかね?誰が不安、不快になるんでしょう?

というのは建前でして、みんなが言いたい本当の続きは「他のお客様がクレームを言ってきたら困る」でしょう。でもノーマスクを注意できない。特に警察はそうです。法に触れてしまう。だから「他の人がいるから、(クレーム受けても注意できないから)マスクを着けて欲しい」となるわけです。

至る所で企業や施設はノーマスクに対して、「他の人がいるから」という続きのない言葉を言い放ち、自分たちの身を守っているわけです。決して他の人に寄り添っているわけじゃない、自分がクレームを受けたら困るから言っているだけですよ。誰も他の人のことなんか考えていないですからね。そこ、注意して下さい。

誰一人も「マスクは任意」と言えない。かといって「着けろ」とも言えない。だから何となく優しい感じのする「他の人がいるから」というセリフで誤魔化すのです。

仮定の話ですが、僕が警察署で、他の人に「マスクをして欲しい」と言われ、「マスクなどするものか」と喧嘩になったら、僕は警察官に助けてもらえたんでしょうか?きっと本当に自分で解決させられたでしょうね。本来は警察が喧嘩の仲裁に入らないといけないのに、僕は守ってもらえるどころか放置されたに違いありません。警察ですら手出しできないのが紙っぺら一枚の「マスク」なのです。まさに、

マスクは神ですね。

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問題はマスクのルール化

実は警察官に言われる前、全く知らないオッチャンから僕は注意を受けていました。「マスク着用ってきゃーたるけどええ?」(書いてあるけどいい?)「これ着けやー」と未使用のマスクまで手渡されました。

僕が「あ、すいません、僕、マスクやめたんで」と言ったところ、「今はそーゆーこともいったらあかんのだったか?」とオッチャンはおどけてみせてたんですが、この件はとても今のマスク問題の特徴を言い表していますよね。オッチャンは単純に、

書いてあるから着けるべき

だと言いたかったのでしょう。

そうなんです、マスクは感染症対策から切り離されて単なるルールになってしまったんです。少なくともオッチャンの頭の中では「コロナが流行ってるから着ける」のではなく、「マスク着用と書いてあるから着ける」くらいのものなんですよ。

人前ではマスクをするのがルール

いつしかそんな暗黙の合意ができてしまいましたよね。今や、コロナが怖くてマスクをしている人は少数派。「ルールだからマスクを着ける」と考えている人がほとんどではないでしょうか?貼り紙や放送がなくてもマスクを着けるのは当然。書いてあればなおさら。ルールを破るなんてけしからん。というのが多くの人の意識だと思います。

一旦ルールになってしまうと、もうそれ以上考えようとしなくなります。ルールは既にそこにあるものだと考えるからです。誰もそのルールを疑わないし、変えようとも思いません。

むしろルールを否定する人を「反発分子」として捉える向きさえあるでしょう。ルールを守らない人に対し、「なぜアナタはルールを守らないのか」と来るわけです。僕からすれば「そのルール誰が決めたの?勝手に思い込んでいるだけじゃん」くらいなものですが、なかなかその考え方を受け入れてもらえないと感じています。

マスクが感染症対策ではなくなり単なる社会のルールになってしまったことが最も問題なのです。

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幼児がしなくてもいい理由

マスクがルールになったことで理解できることがあります。

僕がずっと疑問だったのは、「なぜ幼児はマスクをしなくてもいいか」ということ。もしマスクが感染症対策であれば、幼児も必ずすべきなんです。例外を設けたら、その例外が感染源になって広がってしまいます。マスクを着けられない幼児がいたとしたらその子は幼稚園を休むべきです。(実際そんなこと思っていませんよ。マスクが感染症対策として機能しているなら休むべきと言っています。)

幼児にマスクをさせることは「可哀想だ」とかそういう理由を耳にします。「大人なら我慢できるけど子供に着けさせるのはやめてあげて」と。けど、マスクが本当に感染症対策だとしたら幼児にマスクは可哀想だから免除なんて有り得ないわけです。そもそも可哀想という発想自体が非科学的で、科学的に考えた上で本当にマスクが必要なら、例外なくいかなる時もマスクをすればいいのです。

ならば、なぜ幼児には可哀想と言う理由でマスクを免除できるのか。それはマスクは単なるルールだからです。感染症とは関係がないので簡単に適用除外を作れるわけです。

居酒屋でも「テーブルでは着けなくてもいいけど、トイレに行くときは着ける」。これもルールだから何とでもできるんですよ。感染症対策なら、例外を作ってはならず一律どんな時も必要なんですが、単にルールと言うことになれば、感染症の観点を入れず、自分たちで自由にルールをアレンジできてしまうわけです。

マスクが社会のルールと化したことにより、幼児はマスクを免除するとか、飲食店の入口やトイレではするけど、テーブルでは免除する。とか全く持って意味不明なルールが出来上がってしまったのだと思います。もうゲームのルールに近いですね。

実質日本人がどう考えているのかはわかりませんが、そう考えると合点が行きます。

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マスクを終わらせるには

自分たちが自分たちの体裁を守るために勝手に始めたマスク。ウィルスが変異しても、世界がルールを変えて行っても日本だけは旧式なルールを未だに守り続けています。自分の頭で考えて行動できない日本人が、マスクのルール化というところに逃げ込み、考えないことを選択したと言っても過言ではありません。自ら考えて正しい行動を取れば非難されるだけ。いいことなど一つもないからです。

ただ、ルール化されたと言ってもオッチャンの言うように、書いてなければ、そのルールを守らない人が出てくるかも知れません。頼みの綱は企業であり公共施設だと思います。コロナがインフル相当の扱いになった時、彼らが「マスク着用」の貼紙や放送をやめるかがポイントになるかと思います。

きっと最初のうちはビビってやめられないでしょうね。一番怖いのはコロナ感染対策からあらゆる感染症対策にすり替えてくることです。そうなったらもうこの騒動は終わらないと思います。人々がマスクを外せないからと言って、人々の心理に下手に寄り添い始めると終わらせるチャンスを逃してしまうと思います。

自ら「マスクはやめました」とキッパリ言えればいいんですが、皆なかなかそこまで言えないので、波風を立てないようにマスクをしてしまう。この事なかれ主義こそが日本人の一番悪いところです。

一旦マスクを取ってしまえば何てことないんですが、やっぱり最初は怖い。でもいつまでもそうだからこのマスク禍が終わらないんですよ。ホント、一人ひとりが意志を持って行動して行きたいものです。(外したくない人はそのままでいいです。「いつになったら外せるんだろう?」と嫌々着けている人に言っています。)

こうして今年の夏が終わります。また来年の夏までマスクは続くでしょうね。

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